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成人式の話

あっと言う間に年末が過ぎて気付いたら年明けでした。

気が向いた時に更新する感じで今年ものらりくらりと書きたい事書きたいように書いていきますので、宜しくお願いします。


もう、来週には成人式ですね。

今日、職場の人と着物の話をしてて「七五三で着物着たぐらいで後は着た事ないよー」って話をしたら「成人式は?」と聞かれたので、さて、約十年前の自分の成人式は私どうしたんだっけ? と思い出してみました。





りとらが成人式の時は、両親どちらもノーリアクションで、自分もフリーターだったので金がなく、ものの見事にスルーしました。
でも、りとらには同い年の同姓の従姉妹がおりまして。

従姉妹の家は、お母さん(りとらにとって父方の叔母)が娘が産まれた時に「娘と成人式の着物を一緒に買いに行きたい!」と思い、こつこつとお金を貯めていたそうで。

で、成人式の時、従姉妹は一生物の振袖一式を購入したそうです。


ちなみにりとらは成人式がやりたかったかと聞かれれば、少し興味はあったかな、ってぐらいです。
成人式、と言うよりも振袖を着てみたかったな、和服で着飾ってみたかったな。って感じです。

まぁ、その程度だったので別に成人式にそこまでの執着もなく。
気付いたら「あー、20歳だったー」のノリでした。


そんな感じで私もスルー、父もスルー、遠くにすむ母もスルー、って状態で「記念なんだから撮れ」と五月蝿かったのは叔母でした。
(※従姉妹の母の方ではなく、妹の方です。父には妹が二人おり、従姉妹の母は上の妹、何かと口やかましいのが下の妹です。ちなみにこちらは子供なし)

20歳の記念なんだから、撮るべきだ! と事あるごとに主張する叔母。
お金ない、無理。と言い切る私。
妹にうるさく言われたのか、「お前、写真撮るんだったらお父さんお金貸してやるぞ」とか言い出した父。

あとはこの成人式の話が叔母から姉に愚痴で伝わって母の耳に届き、何故か姉経由で母から「お父さんにお金借りて写真ぐらいは撮ったら?」とか言われる始末。

貸すだの借りろだのと、周りはうるさく言ってましたが、私は無視しまくってました。
むしろ、何が悲しくて成人式も過ぎた頃に一人ぼっちで振袖レンタル見に行って写真屋の予約して、その為だけに20万近い金を実父に借りなきゃなんねーんだよ。とかちょっとムカついてました。

それでも、周囲の大人は「記念だから、記念だから」と好き勝手騒いで、最終的には叔母二人に、

「従姉妹に着物貸してもらって写真のお金だけ自分で頑張って出すか、お父さんに借りたら?」

とか言われました。

もうね、すっごい「はぁ?」って気持ちでしたよ。

従姉妹も私に同情したのか「いいよ。いつでも言って」とか言ってくれたんですが、正直自分の為に母親が買ってくれた大事な着物をいくら従姉妹相手とは言え貸したくはないだろ。と思いました。

なので、そちらも謹んで辞退しました。




だから成人式には出てないし、振袖も着てないし、でも着物は着てみたいからそこそこの年になったらお見合い用の写真も兼ねて和装の写真でも撮ろうかなー、って思ってたんだけど、もう結婚願望も無いから和装はしないし、写真も撮らないかもねー。

なんて事を話したら「ある意味凄い」って言われました。
「なにが?」って聞いたら「成人式なのに金貸すって言うところ」って言われました。

そういうもんでしょうかね?


まぁ、その辺はおいといて、約十年経ってもう戻れないあの頃を思うとちょっとだけですが「撮っておけば良かったかな~」ともったいない気持ちもあったりします。

和装はこれからも出来るチャンスはあります。

でも、あのピッチピッチつやつやのお肌の状態で、若い時しか着れない派手な色や柄の振袖着れるのはあの時だけだったんだよな~。ってことを、今思います。


まぁ、それだけなんですが。

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「私は~してあげてるのに」

誰かに対して何かをしてあげた時、見返りを求めると自分が辛いです。

当時の私がそうでした。

私はご飯作ってあげてるのに。
私は掃除してあげてるのに。
私は洗濯してあげてるのに。


どうして、ありがとう、の言葉もないの?

なんて、勝手に自分でやっておいて、労いの言葉が一つも無い事に苛立って。

で、結局相手とギクシャクして、私は認められてないだの、そっちは何もしないくせに! と一人で毎日カッカしてました。


当時の私は若かった、ってのもありますけど、狭い世界しか知らなかったので自分で勝手に「これはこうなんだ!」と決め付けていた部分が多かったです。(別名「叔母の呪縛」とも言います)

でも、そうじゃないんだな。と少しずつわかってきて、今に至ります。


今ではご飯作るのも掃除するのも洗濯するのも全部「自分がやりたいから」やってます。

だから、やりたくない時はなぁーんにもやりません。
それでいいんだよねー、と徐々に慣れてきました。

何か行動しても、自分がやりたくてやった事だから、別に自分以外の誰かに何を思われてもいいやー。とのんびり。
義務みたいにしてしまうと自分の首を絞めてしまうので、敢えてしらんぷりしてみたり。

そういう時に「ありがとう」って言われるとうれしいもんですね。

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11月ですかぁー。

年々、歳とともに月日の、と言うか時間の流れを早く感じます。

気付いたら一時間、気付いたら一日、気付いたら一週間、気付いたら一月。

学生の頃は時間の流れが遅く思えていたのに……。



今日は会社の会議室で一人でのんびりご飯食べてたら営業さんが入ってきて「気にしないで」とか言いながら私の真正面に座ってパソコン開きやがりました。

いやいや、私お昼休み中ですけど?
のんびり食べたいから一人で会議室にこもってんだけど?

と思いつつも外面はいいので反射的に「あ、どうぞー」とか言ったら、そのままお昼休み60分中、40分おじさんの話に付き合うはめに。
一応職場内では面倒を起こしたくないので、基本にこにこ仕事してるので、職場では穏やかな性格だと思われているりとらです。
なので、おじさんも人の休憩邪魔してるとか一切気にせず、喋る喋る。

内容は吹奏楽をやってる中学生の娘さんと小学生でプログラミングに興味を持った息子さんの話でした。

よせばいいのに「えー、楽器出来るとかいいですねー」「練習会場の送り迎えしてくれるお父さんていいですねー」「息子さん、将来が楽しみですねー」とか、ヨイショヨイショの言葉が無意識に出てしまう私。

おじさん、にこにこしながら更に喋る喋る。

何故かそのまま中学生の娘さんが将来バイオリニストになりたい、とか言う話まで行きました。

もう、二度と会議室で食事するのはやめよう。と思いました。
読書も昼寝も出来なかった!!



と、そんな割と一般的? な親子の話を聴きつつ、当たり前のように親に甘えて甘やかされてって羨ましいなぁ、と思いつつ、絶対うざったいんだろうなぁ、と思う私。


りとらは実父と一緒に暮らした期間が2年ぐらいしかありません。
実母と暮らしたのは4年ちょっとです。

29年間の人生で一緒に過ごした時間が長いのは12年前に亡くなった祖母です。
次に長いのは高校時代の悪友である現在の同居人で、そろそろ9年ぐらいになります。
あと3年一緒に居たら、私の人生で一緒に過ごした時間が長い相手は、同居人になります。
寧ろ、祖母は途中で入院とかで軽く二年ぐらい不在だったりするので、もしかしたら同居人が一番一緒に居る時間がながいかもしれません。

それ以外、高校3年から二年くらい、亡くなった祖母の家で一人暮らししてました。


なので、両親の顔も名前も住んでるところも知ってますが、もう殆ど赤の他人です。


ちなみに父も母も私が十になるかならないかで離婚して(その前から別居してましたが)、現在は既に人生の伴侶がそれぞれいます。お互い幸せそうでなによりです。

お父さん、お母さん、と呼ぶし顔も見せに行くし、時々親の顔をしたい父と母の為に娘になります。

でも、それ以外はノータッチの生活です。

今の距離感が、とても穏やかで落ち着いてます。



私が鬱になった時、母はなにも言わず、何もしませんでした。(私の欝の話は姉から聞いてはいたようです)

父は状況を知って私を実家に呼びましたが、私の状態をみて一言、「なんでそんなのになっちまったんだ」と言いました。
薬をのんで意識朦朧として出歩けないと言った私を無理矢理怒鳴って読んだくせに、父が言ったのはそんな言葉でした。

なので、もうどうでもいいやー、と思った私は包丁を父に渡して「じゃあ、殺して」と言ったんです。
そんな私に父は「俺は犯罪者になりたくない!」と怒鳴ったんです。

あっそ。

って、感じでした。
いや、当時はもっと言葉に出来ないどろどろぐちゃぐちゃの感情が静かに溢れかえってたんですが、今の言葉で言うなら「あっそ」で終わりますね。


ちなみに関西に住む姉は一度だけ様子を見にきてくれましたが、当時姉には既に家庭があったので、頼るとか頼らない以前に自分の事で迷惑掛けるのが申し訳なくて遠ざけてました。


りとらを鬱から引っ張り上げたのは同居人です。
(まぁ、りとらが本格的に鬱になるかならないかの崖っぷちに居たときに崖下に向けて思い切り背中を蹴飛ばしてくれたのも同居人なんですが(笑))


おかげで、父母にはまったく甘えないくせに、今では同居人には言いたい放題です。
気楽ですよ。




当たり前の顔して習い事して、当たり前の顔して進学して、当たり前の顔して実家にいる。

高校卒業後、やりたい事が見つからないから、とりあえず大学・専門、って進む方っているじゃないですか。

正直、今でも羨ましいです。


親に当たり前の顔して甘えられるってどんな感じなんでしょうか?


別に親に虐待されたわけでも、捨てられたわけでもないんですけどね。
一応、高校までは出してくれましたし。



愛して育ててくれた祖母が居て、同じ位置に立って支えてくれた同居人(親友)が居て、心配してくれた姉も居て。

言い方は悪いですが、全体的に見たら私はまだまだ一般的な部類に入ると思うんです。

ちょっと親が自由奔放で計画性がなさ過ぎるだけで。
もともと、りとらは子供なんて金がかかるから要らないって言う父の計画性の無さが原因で出来た子です。
なので、堕胎される予定だったんですが、母が私を妊娠した時、その前に既に4人堕胎してて、病院に堕しに行ったら「もう次の子は望めないかもしれないよ」って言われて、祖母がお金出してくれて生まれてきましたー。
本当だったら同じ父親で二つか三つ上のお兄ちゃんが居たはずなんですがね。

母は父と結婚する前に色々やんちゃをかましてたらしく。
母が産んだのは姉と私だけです。他の4人の姉兄は全員生まれませんでした。
だから、ある日姉が言ったんです。
「私とあんたは三分の一の確立でこの世に生まれたんだよ。凄い事だよねぇ」って。

確かに凄い事です。
生きてるだけでも儲けもん、かもしれません。


でも、それでも正直に学生の頃から親に甘えて好きな事に打ち込める子が羨ましくてしょうがないし、そういう環境を整えてくれる親が自分にも居たら、きっと私の人生はもっと充実していたのかな? と思ってしまうときが多々あります。

まぁ、親が色々放置してくれたおかげもあって、大抵の事は一人でこなしてたんで、一人暮らしのときも今も生活するのに困った事は無いので、そこは感謝、かな?

あと、この年になっても親から結婚の「け」の字も出ませんし、何も言われませんよー(笑)

自分たちを振り返ると絶対に「早く結婚しろ!」とはいえないうちの両親。

歳も歳ですし、父の実子は私一人なので、それとなく旦那やら孫って単語が出ますが(主に後妻から)、へー、で終わる私。
(姉は父違いです。っつーか、早く子供生んで私に孫を抱っこさせて、とか言う後妻ってどうなんでしょう? 自分は娘二人捨ててきてるのに)

先ほど、高校までは出た、と書きましたが、これも父と言うより、祖母の援助が大きいです。

なので、スタンス的には「私は貴方たちに甘えてないのですから、貴方たちも私に甘えないでね」って感じです。


えー、また勢いでぐだぐだ書きましたが、とりあえず親に甘えられる人は羨ましいなぁー、甘やかしてくれる親羨ましいなぁー、って事を書きたかったんだと思います。


昼休憩の件でむしゃくしゃしてました。
勢いで書いたので色々支離滅裂。でも、愚痴書いたらちょっとすっきりした。

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うつ病が発症して初めてメンタルクリニックに行った時の話。

昨日の日記で、うつ病の経験があると書きました。


うつ病って、ストレス社会の現代では良く聞く単語ですね。

自分自身を追い詰め過ぎてなってしまう心の病。

なってしまう原因は色々あります。

職場や学校でのイジメや人間関係のストレス、家庭でのストレスやノイローゼ。



私のうつ病が本格的に表面化したのは20代前半のネットワークエンジニアをしていた時でした。

そのとき一緒に仕事をしていた先輩が仕事は出来るけど、人としてちょっと……、と言う『こってこて』のエンジニアの方で、ぶっちゃけこの方が最大の引き金でした。



「なんでこんな簡単な事も出来へんの?」

が、口癖の方でした。(これまたこってこての関西弁)


同じ会社からの出向で仕事してたので、出向先ではなんでもペア扱い。
職場では一日中一緒、出張先ではお昼休みも行き帰りの電車内もずっと一緒。

仕事で分からない事を聞いても「自分で調べろ」「そんな事も知らないで俺とペアなのか」「頭悪すぎ」と返されるだけ。


なんだかんだで私が休職するまでの一年ちょっとの間、一緒に仕事してました。
最初はね、私も新人だから先輩に迷惑かけてるし、と思ったり、元々の気の強さで結構きつい事言われても踏ん張ってたんですが、それが、いけなかった。


いつの間にか先輩にキツイ事いわれる度に、自分否定に入るようになってしまったんです。


なんて自分は駄目な人間なんだろう。
こんな自分はきっと生きてる価値なんて無いんだ。


気付けば眠っている時以外、そんな事ばかりを思うようになっていたんです。
そうして、そんな事を考えすぎて見事に不眠症になりました。


眠れないって、凄く大変な事。

睡眠不足のせいで考える力は激減します。

その頃、私は24時間中、1時間~2時間目を閉じていられればいい方でした。
でも、毎日会社には出社しなければいけないので、踏ん張って会社には行ってました。

もちろん、寝てないので遅刻する事も多々。
踏ん張って出社しても会社の机で意識がぷっつり途切れる事もありました。
で、そんな自分自身にまたもや自己否定をする、のエンドレスループ。

ついでにゲームしてたら朝になってた、とか軽く言って遅刻してくる先輩にも何故か「遅刻するとか本当にないだろ、人として終わってる」とか言われて、普通なら「貴方だって遅刻してるじゃないですか!」と思うところも、その頃の私の脳みそは「やっぱり、私はしょうもない人間なんだ」と自己否定。

いや、今思えば「お前にだけは言われたくねぇよ!」と突っ込めるんですが、本当に知らないうちに追い詰められていた私は、人の軽口にも過剰反応してました。


でもね、今だからこそ当時の私はきっと行動も言動もだいぶおかしいものだったんだろうなぁ、と思えるんですが、当時の私は自分の異常にまったく気がついておりませんでした。
職場でいきなり仕事の話をしてて涙が出てきたり、トイレの個室に数時間入ったきり出てこれなくなったり……。


私の異常に気付いたのは、当時仲良くしていただいていた派遣の事務員さんでした。
その方が、職場での私の異常に気付き、課長に進言し、そして私にメンタルクリニックに行くように進めてくれたのです。



なんか、改めて自分がちょっと周りと違ってるかもしれない、って事を自分自身で認めるのって結構な勇気がいりますよね。

事務員さんに「病院に行っておいで」と言われたとき、勿論私も「どうして? 私はどこもおかしくないのに」と思った記憶があります。

でも、心のどこかでもう逃げたい、って気持ちもちょっとあって、駄目もとでメンタルクリニックを受診してみるとこにしたんです。
早退もできてラッキー、とも思いました。
気持ち的には「私はどこもおかしくない。でも、もしかしたら病院でちょっと疲れてますね、ぐらい言われたら少し休もうかな」なんて気楽に考えていたのです。


生まれて初めて予約の電話したメンタルクリニックは隣駅でした。
一応ね、行けって言われた手前、次に出社して「行ってません」なんて言ったら心配してくれた事務員さんにも悪いし、早退させてくれた課長にも申し訳ない、と思って帰宅してから律儀にネットで探したんです。(ザ・真面目人間)

で、隣町にそこそこ大きく有名なメンタルクリニックがあったので、ここでいいや、と電話しました。
でも、電話口に出たお姉さんに「今から予約を入れていただいても受診は一ヶ月後になります」と言われました。


一ヵ月後、ってなに……。


本気でそう思いました。

でも、クリニック同士って横のつながりがあるんだなー、とその時知ったんですが、電話口でお姉さんに「お住まいどちらですか?」と聞かれて駅名を答えたら「最近そちらの駅に新しく出来たクリニックがありますので、ご連絡してみていただけませんか?」と言われたんです。
「はぁ……」と答えながら電話番号をメモった私。


教えられた電話番号には気持ちが萎えて沈む前に電話をしました。
そしたら、最初に電話したクリニックのお姉さんよりもかなりくらーい声のお姉さんが出ました。
そのお姉さんに「受診をしたいのですが……」と伝えたところ、当日中の受診が可能、と言われて「……行きます」と答えました。


数時間後、クリニックを訪れた私。
綺麗なクリニックでした。

うっすらとした記憶ですが、私以外に待合室に二人ほど居た記憶があります。


先生は、なんだかふっくらした見た目の、穏やかなおじさんでした。


先生と机を挟んで真向かいに座りました。
先生はとても穏やかで落ち着いた声で話してくれました。


眠れない事、昔からリストカットの癖があること、最近よく泣く事。
とりあえず聞かれたことに対して、そこらへんの事をぽつぽつ喋ったんだと思います。


「じゃあ、少し、うつ病の状態がわかるテストをしてみましょうか」


そう言われて、先生の出す質問に淡々と答えた記憶があります。

こんなもんで何が分かるんだろう。
私は普通なんだから、きっと眠れる薬とかちょっと処方されておわりなんじゃないかな。


不眠症で、リストカットの癖があって、意味も無く泣き出したりするくせに、それでもこの時点まで私は自分が至って「普通」と変わりないと信じて疑っていませんでした。

眠れないのも、自分で自分を切り刻むのも、急に泣くのも、もう、それが当たり前になり過ぎていたんでしょうね。



全ての質問が終わって、先生が言いました。


「ここまで、良く頑張ったね」

一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。

「偉かったね。今日は良くここに来てくれました」

は? と瞬きもせずに先生を見つめました。
先生は穏やかに笑ったままでした。

「本当に、良く頑張ったね」


もう一度言われて、気付いたら大声で泣いてました。
診察室中に、と言うか待合室まで漏れてたんじゃないかな? と思うぐらいに大声で泣きました。

そんな子供みたいに恥も外聞も気にせずに人前でワーワー泣いたのは数年ぶりでした。


しばらく意味も分からず泣いて泣いて泣きまくって、ちょっと落ち着いてきた頃に先生が一度だけ肩をポンポンと叩いて「少しずつでいいから、治していきましょうね」と言ってくれたんです。

泣きまくってちょっと落ち着いた私に先生はゆ~っくり噛んで含めるように説明してくれました。

「仕事は暫くお休みしましょうね。今はとにかくゆっくりと心を休ませてあげましょう」


うつ病にも普通の病気とと同じように進行度合いと言うか深度、みたいなものがあるんですが、クリニックを訪れた時点で私のうつ病度合いはかなり深刻なものだったようです。

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私のこと。

りとらの今までの事、これからの事を綴る前にちょっと色々。


いきなりですが、りとらはうつ病の経験者です。


メンタルクリニックにも通ってましたし、投薬治療もしてました。


もう6、7年前の事な上に結構強力な薬を処方されていましたし、不眠症だったりもして、はっきり覚えている事もうろ覚えな事もたくさんあります。


ついでに言えばリストカット癖もありました。


死にたいと思った事もありますし、本気で人を殺そうと思ったこともあります。


でも、今は落ち着いてます。

周りの人に「いつも穏やかだね」とか「何でも前向きでいいですね」とか言われます。


色々あったからこそ、今の私になれたわけです。



今の私は自分で言うのもなんですが、そこそこ自分大好きな自由気ままなマイペース人間です。

やりたいことはやらなくちゃ。
どうせなら人生は笑って満喫しなくちゃね。


なんて思えるぐらいになれました。

あの時死ななくて良かった、としみじみ思ってます。

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プロフィール

吉成 りとら

Author:吉成 りとら
来年は30歳。
人生これからです。やりたい事は色々。

これからの人生の事、これまでの人生の事。
呟いたり綴ったりしてます。

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